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「親の期待に応えられない。疲れた」というあなたはきっと真面目で良い人。しかし、「結婚・孫が見たい」「勉強・英語」など、大きすぎる期待には「応えない」という選択も有です。

今、とても悩んでいて、疲れていませんか。

「親の期待」に応えられない、「親の期待」に応えたくない。

 

薄っすらと気づいています。

自分の本音に。

「息苦しい。親の期待なんて無視したい。自分の人生を歩みたい。自由に生きたい。」

 

ゆとり世代の私と友人の会話は「親が〇〇を望んでいるけど、正直しんどい」といった話題が男女関係なく、頻繁に出てきます。「早く孫を見たい」という親の何気ない発言に苦しんでいる人は珍しくありません。

 

「良い大学に行ってほしい、結婚してほしい、英語を話せるようになってほしい」こういった、一見まともに見える「親の期待」、しかし息苦しい「親の期待」にどう向き合えばいいのでしょうか。

 

親の期待に応えるのは何故?

あなたを苦しめる「親の期待」、さっさと無視すればいいのでは?

「疲れる」「大変」にも関わらず、応えようとするのは何故でしょうか。

 

「恩返しをしたい」「メリットを感じる」「生きるために必要」という3つの理由があります。

 

恩を返したい (意識している)

特に大学まで入れてもらった場合や金銭的に余裕がない環境で大切に育ててもらった場合、強く思います。

「良い親」に育てられたので、「良い子」に育とうと意識する。

「莫大のお金」「膨大な時間」「無限の愛情」を注いでくれた両親に「恩返ししなきゃ」と思い始めることは至極当たり前です。

 

メリットがある(と感じている)  (意識している)

「親の期待」は、私たちを苦しめるだけではありません。ほとんどの場合は、メリットがあります。

「礼儀正しい行動をして欲しい」「良い大学に入って欲しい」「運動も得意であってほしい」といった「親の期待」に応えることは「大変だった、辛かった、でも今の自分がいるのは親のおかげ」と思う人は多いです。

こういった経験の積み重ねによって、「親期待に応える=自分にメリットがある」という式が刷り込まれています。

「苦しいけど自分のためになる気がする」ので、努力してしまいます。

 

生きるために必要だった(無意識)

子供にとって親は無くてはならない存在です。

やりたくない勉強も、やらないと怒られる。怒られる結果、嫌な思いをする。最悪の場合は制裁として「夕食抜き」なんてこともあります。

嫌だと思いつつも、親の言うことを聞かざるをえない。

 

親の期待に応えるしかない環境が続き、「親の期待は応えなきゃいけないんだ」と思い込んでいるパターンもあります。

 

親は何様?

いきなりですが、親は何故私たちに期待をするのでしょうか。

 

「ご飯を食わせてあげているの。あなたも一流企業を目指して勉強頑張って。」

「今まで育ててもらった恩を感じないのか。ちょっとは親の期待に応えろ」

こういう風に見てみると、図々しく見えませんか。

 

私たちは生まれたくて生まれたわけではありません。親が勝手に生んだのんで、私たちは生かされています。親として子育ては義務です。動物も遺伝子を残すために、本能的に子育てをします。

 

「私の親は私のために莫大なお金を使ってくれた」という声が聞こえてきますが、これも親が選択したことです。

 

勝手に生んで、勝手に色んなことを押し付けてくる。

こんな親って何様でしょうか。

 

親世代と子供世代(ゆとり世代)の価値観の違い

「親の期待」からの呪縛から解き放たれるためには、もう一つ理解しておくべきことがあります。

親世代と子供世代の価値観は大きく異なります。

 

親世代は、「結婚しない」「子供を産まない」という選択肢はそもそもありませんでした。「結婚と子育ては幸せなこと」だから「結婚すること、子育てすることは普通」でした。

「親の期待」は、親世代の価値観に基づいています。

「親の期待には応えること」と「自分が本当に望んでいること」がピタリと当てはまっていれば良いのですが、親世代と子供世代の価値観は異なるため、ここが重なることはほとんどありません。

 

「親の期待」と自分の「やりたいこと」がズレているなんて、親不孝ではないか・・・と悩んでいる方がいたらそれは誤りです。繰り返しになりますが、親世代と子供世代の価値観は明らかに異なるので、ズレがある方が自然なのです。

 

「違和感」は「巣立ちの合図」

 

人形と違って私たちには、「意志」があります

いくら親から生まれても、親の影響を受けて育っても、「感じ方や考え方」は異なります。別の個体だからです。

 

親も図々しい存在ですよ。

私たちは人形ではないのですから、いつまでも親が言っている通りに行動する必要なんてありません。 

一方で私たちも気を付ける必要があります。親に「理想の親像」を押し付けないことです。成人したのであれば、「ご飯を作ってくれない、家が汚い、もっと教育費を出してもらいたかった。」なんてことを親に言うことは図々しいことです。

 

皆さんは今まで十分に親の期待に応えてきました。

「そんなことない。親がしてくれたことの恩返しが全然できていない」という声が聞こえてきますが、親への恩返しなんて絶対にできません。

自分よりも20歳以上年上。20年近く注いでくれた時間、お金、愛情は返せません。無理です。お金は返せるかもしれませんが、時間と愛情は返しきれません。

 

親への期待は、勉強で応えてきたかもしれませんし、お行儀よく過ごすこと、親の世間話を聞くこと、親が好きな雰囲気の服を着ることで応えてきたのかもしれません。

 

「親の期待」を重く感じたら、一度、全部無視してみましょう。

争いを避けたいのであれば、表面的には親の言うことを聞くふりをして内心無視すれば良いのです。

そうして無視した結果、もしかしたら「親の期待=自分の望み」であると気付けることもありますし、「親の期待≠自分の望み」に気付けることもあります。

 

 「親の期待≠自分の望み」に気付いた際も罪悪感を感じる必要はりません。既に上記で説明した通り、親の期待は図々しいものであり、親世代と子供世代の価値観は異なるものなので、ズレがあることは自然なことだからです。

 

自分の望みを叶えるために親と対立することもあります。「対立」というと「親不孝」に見えますが、決してそんなことはありません。

個として独立できた、立派な大人になれた、ということを証明しているからです。

 

幸せの追求≠自己中

人は幸せを求めて生きています。

ただ、自分「幸せ」「やりたいこと」追求することって何だか自己中な気がしませんか?そんな風に思って過ごしていると死に際に後悔することになります。

 

自分のやりたいことをやらなかったこと

引用元:『死ぬときに後悔すること25 (新潮文庫)」

 

もっと自分らしく生きればよかった
これは、一番よく聞く「後悔」の言葉。人は、人生が終わりに近づいていると悟ったとき、もっと自分らしく生きたかったと考えるようです。いくつもの夢があれど、ほとんどの人は、そのうちの半分も全力を尽くさないままに時間が過ぎ去ってしまうのです。そして、じつはそれが「自分の決断次第だった」ということに気づきます。
健康は人を盲目にします。もう長くは続かない、とわかるそのときまで、自由を見えづらくしてしまうのです。

引用元:看護師が語った、死の直前に誰もが口にする「後悔のことば」

 

何よりも「自分の幸せを追求すること」は自己中と直ぐには結びつきません。幸せの追求のために人を傷つけたりすることは自己中ですが、やりたいと思ったことを行うこと自体は誰にも文句を言われる筋合いは無いのです。

 

親の期待に背くものを望んでいる時、親を裏切った気分になるかもしれません。しかし、それは決して「自分勝手な人間」になったのではなく、成長した結果「個」として独立しようとしている合図なのです。

 

無理に自分を縛る必要は全くありません。

「親の期待は無視しよう、親の期待は図々しいもんだ、自分らしく自由に生きよう」そう思って「自分の人生」をスタートさせてみてはどうでしょうか。

 

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