ウッス。
職場でよく聞くんですよ。
- 〇〇さんは間違ってる気がする。
- 私は頑張っている。今のままでも良いと思う。
相手の前ではニコニコしてますが
ぶっちゃけ・・・
はいはいはいはい!!!!どうでもいいい!!!
と思ってます。
誰が正しいとかどうでも良いんですもん。
例え、私が間違っていた場合、誤りを認めるのは苦ではありません。
一番苦なのは、感情に流されて「ものごと」ではなく「人」を批判することです。
「人」を批判することは、問題解決にも何にもなりません。
求めているのは「より良いもの」
「より良いもの」を作り上げる過程において、誰かの誤りを批判するのは時間が勿体ない。誤りをいち早く正し、正しい選択は何なのか話し合い、実現に向けて力を合わせることが一番。
時には自分がやってきたこと、信じてきたことを否定されることもあるかもしれません。しかし、それは「自分が否定されている」のではなく、その時の選択が誤っていたと。
それだけです。
人からの指摘に対して、直ぐに感情的になったり、悪口を言い出す人は、「人」と「人の意見・選択」を切り離して考えられていません。
誤りを指摘するのも必ずしも個人を攻撃するためではなく「良いもの」への道のりから反れてることを指摘しているだけなのです。
自分が頑張って作ったものを批判されても良いです。
時間をかけて作ったものにいちゃもんを付けられると気ずつきます。悔しい気持ちだったり、相手を憎む感情が生まれるのも確かです。
しかし、他者からの正当な批判(×ただの中傷)は「より良いもの」を作る過程では避けては通れない。むしろ、それを乗り越えてこそ得られるものだと信じています。
自分が正しいかどうかなんてどうでも良い。
「より良いもの」を目的に議論をすれば、人を憎むこともなくなるし、建設的な議論ができる。そう確信した一日でした。
(322/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中