「自分らしさ」とは何か。
人の考え方は常に変わるし、行動範囲も付き合う友達も常に変わっていくため、定義がとても難しい。
また「自分らしさ」は、独りぼっちのままでは気付けない。常に人と比較した時に発見されるものだと思う。
「自分のこんなところは、多くの人と異なっている。これって変えた方が良いのかな」と思った時、それは紛れもない「自分らしさ」であるし、誰かの行動を見て「自分はこうしがちだけど、あの人のマネをしてみようかな」と思ったときの「こうしがち」という部分も自分らしさである。
こうして「自分らしさ」というのを認識できても問題がある。
「この自分らしさ」は、「捨てた方が良い自分らしさ」なのか「大切にすべき自分らしさ」なのか迷う時だ。
大切にすべき「自分らしさ」なんてあるのだろうか。
自分が思う「自分らしさ」を捨てることを躊躇するのは、「自分らしさ」を捨てることによって今までの自分を否定する気持ちになったり、自分が自分ではなくなってしまうのではないかという恐怖を感じるからだ。
「自分らしさを捨てると自分でなくなる」というのは感覚的には理解できるが、間違った思い込みであり、どんな自分も自分であるというのが正しいと思う。
これを考える上で人をスマートフォンに例えると分かり易い。
「自分」とはOSであり、アップデートはされても簡単には変えられないもの。一方で、アプリはいつでも削除したり、追加したりすることができる。
私たちが認識している「自分らしさ」は「アプリ」にあたる。アプリをダウンロードしまくっても、削除しても「自分」にあたる「OS」には影響を及ぼさない。
ダウンロードして直ぐに捨ててしまうアプリがある様に、一度「こうしてみよう」と試してみて合わなければやめることもある。
だから「新しく~に取り組むと今までの自分とは異なるので、始めるのは何だか気が引ける」と考えてしまうのは、OSとアプリを分けて考えられていないからだと思う。
その時その時に必要なアプリは自分で分かっているはずだし、その時々の自分に合わせて常に変化していくことが普通だ。
いつまでも「自分らしくいたい」だなんてのは幻想だ。
「自分らしさ」はあくまでもその環境に適したものであるべきだし、変化をかたくなに拒む理由はない。
アプリをどれだけ入れ替えても自分は自分のままだし、「自分らしさ」は変化していくのが当たり前。
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