最近、ブログのPV数がじわりじわりと上がってきています。
1日のPV数が300に届く勢いです。
とても嬉しいことなのでブログ運営記事を書きたいところですが、気分が乗りません。
何故なら
「かなしい」からです。
職場では何事も無かったかの様に振舞いますが、「好きでやっているブログで無理をする必要はない」と開き直ってみました。
※先日、アクセス数が増えている記事をリライトしたので、決してブログ訪問者を蔑ろにしているわけではないです。
かなしいときー、
かなしいときーーーー!のネタが脳内再生されますが、脳は無反応です。
体から力が抜けていきます。
気付けば泣いていたりします。
しこたま泣いて「ふ~」と落ち着いてから自分が書いた↑の文を読むと「なんか、やばい人だな」と客観視できることに気付きました。
客観的に自分を見ると少しだけ感情的な部分から距離を取れるのかもしれません。
とは言え、悲しいことを「無かったこと」の様に「処理」するのは絶対にしてはいけないと思います。
最近は、「ムカッ」とすることや「嬉しい」ことは頻繁に会ったのですが、ここまで「悲しい」という感情に浸ったのは約数年振りのことでした。
ここで大切にしたいのは、「悲しさ」を理由に目の前のことを投げ出すことは決してしてはいけないということ。
上記での述べた「悲しみとの向き合い方」をまとめるとこんな感じです。
悲しい時でも落ち着いて自分の状況を客観視した方が良い→だけど「悲しい」という感情を蔑ろにしてはいけない→といっても悲しさを理由に「今」から目をそらしてはいけない
「悲しみ」を無視して、この感情に蓋をするようなマネをしてたところでどこかで必ず「ガタ」が来るはずです。
なんかハッキリせい!という感じですが、人生、ハッキリしないことの方が多いです。
こんな風に思えるのも近親者を亡くしたことをきっかけに、悲しみのあまり何も手につかなくなり、高校から大学の約4年間「空白の時間(無駄な時間)」を過ごしてしまったという後悔があるからなんだな~と思ったりします。
どんなに「無駄」だと思えることにも「意味」は後からついてくるものなので不思議です。
「悲しい」を大切にしながらも明日に向けて寝るです。
(125/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中