「人に興味が無い」
この言葉のインパクト、強すぎます!
目の前に座っている私(人)に面と向かって言ってくる人がたまにいます。
「あなたに興味が無い」と言われているようで、ショックが大きいです(グサッ)
しかし、「私は人のために頑張ってきたことも無いし、今後も人のために頑張ることなんてできない。人に興味が無いから。」であったり、「見知らぬ他人のために何かをやり遂げたいことなんて無い」という人は、案外多いのかもしれません。
- 本当に「人に興味がない?」
- こんな時、人のために行動できますか?
- 人に何かをしてあげた経験が無い
- 自己犠牲は不要。求められていないことを少しでも行った経験があればOK
- 人のためよりも「自立」で精一杯じゃない?
- 「人に興味が無い」のは構わない
本当に「人に興味がない?」
「見知らぬ他人のために何かをやり遂げたいことなんて無い」という人は多いと言っても、純粋に「人に興味が無い」という人はかなりの少数だと思います。
ただ単に、今までの経験で「人のために何か行ったという経験が無い」ために「私は人に興味が無いのか」と思い込んでしまっている人が圧倒的ではないでしょうか。
こんな時、人のために行動できますか?
例えば、退社後、見ず知らずの人に「道端で落とした財布を探すのを一緒に手伝ってくれませんか?」と突然お願いされたとします。
この時にお願いを断る理由として考えられるのは・・・
1.声をかけてきた相手を信用できない。
「財布を落としたら先ずは警察だろ!」と突然声をかけてきた相手を疑っている
2.相手のお願いに応じる時間の余裕がない
クタクタの退社後に声をかけられたので、ここで時間を費やす余裕がない。早く帰宅したい。
3.相手のお願いに応じる能力が無い
見たことのない物(財布)を探し出せる能力と自信が無く、軽々しく「手伝います」と言ったにもかかわらず、相手をガッカリさせることを避けるため。
4.人に興味が無い
人が財布を落とそうが自分には関係がない
1.~4.を見て気づくと思うのですが、この人のお願いを断る人は多いかもしれませんが、断る人が圧倒的に多いのは「4.人に興味が無い」という理由とは別の1.~3.の理由によるものではないでしょうか。
次に、少し条件を変えて考えてみましょう。「近所で30分、散歩をしようとしていた時に見ず知らずの人に「(よく知っている)公園までの行き方(所要時間5分程度)」を尋ねられました。
この時にお願いを断る理由として考えられるのは・・・
1.声をかけてきた相手を信用できない。
いきなり知らない人に声をかけられて、ドキッとした。知らない人とは話さない様に教育されてきたので、断る。
4.人に興味が無い
人が道に迷うおうが自分には関係がない
今回のケースでは、先程断る理由として挙げた2.と3.が外れて1.と4.のみになりました。ここでもやはり、お願いを断る理由の可能性が高いのは「人に興味が無い」というよりも「なんかいきなり声かけてきた人だから怖い。公園の行き方知らないってことにしておこう」というパターンではないでしょうか。
かなり極端な例を2つ出しましたが、人のお願いを断る理由は「人に興味が無いから」というよりも、その他の理由のためであり、逆に考えると「人からのお願い」に応えるためには、色んな条件が揃っている必要がある、とても困難なことであることが分かります。
人に何かをしてあげた経験が無い
上記の例を出しても「いや、本当に人に興味ないです」と言い切る人は、「人に興味がある」ということにかなり高いハードルを設けて以下の様に考えているのかもしれません。
本当に人に興味があれば・・・
・退社後のクタクタでも知らない人の財布探しに手伝うんのでは?
・この人「少し怪しい」と思いつつも公園まで連れて行ってあげるのでは?
・自分の食費を削ってまで、知らぬ誰かが温かいご飯を食べられるように寄付するのでは?
・誰かと一緒に仕事をしている時に、仕事が遅い人の分まで余分に片付けてあげるのでは??
私たちはマザー・テレサではありません!!!
「自己犠牲を伴う人への貢献=人に興味がある、人のために頑張る」というのは誤った思い込みです。
自己犠牲は不要。求められていないことを少しでも行った経験があればOK
は?と思われるかもしれませんが
以下の何れかに該当する行為、準ずる行為をした人は「人に興味がある」と言えます
・学生時代、友達の分のプリントを取ってあげたことがある
・元気の無さそうな同僚・友人に話しかけてあげたことがある
・電車内で席を譲ったことがある
・道案内をしたことがある
・バイトのマニュアルには無かったけど、こうしたらお客さん(もしくは同僚)が喜ぶと思って~をしてみたことがある。
Ex) 飲食店のバイト、マニュアルには無かったけど話し相手を探しているお客さんがいれば、話しかけるようにしていた
え?こんなので良いの?と思うかもしれませんが、これで良いんです。
本当に人に興味が無ければ友達のプリントなんて取ってあげません。
人のためよりも「自立」で精一杯じゃない?
私は社会人3年目のペーペーだからこう思っているだけかもしれませんが、「ちゃんと自立した自分の生活を送ること」って難しいな、と感じています。
「朝起きて、仕事行って、帰宅する頃には疲れている。文章力向上(自己研鑽)のためのブログを書いて寝る。」 サボっているわけでも無い、むしろ精一杯の一日を送っています。一人暮らしをすると、無情にも家事が加わるので、本当に余裕がありません。
冒頭のこの一文
「私は人のために頑張ってきたことも無いし、今後も人のために頑張ることなんてできない。人に興味が無いから。」
もっと正確に言い換えるとこんな感じなのではないでしょうか。
「私は人のために頑張る機会が無かった。自分の生活(仕事・学業)で精一杯だったし、今後も自立した人生を送るには、自分の生活を優先する必要があるので、人のために頑張ることなんてできない。人に興味が無いのではなく、時間などの制約があるから人のために頑張ることは、なかなか難しい。」
「人に興味が無い」のは構わない
そもそも、「人に興味が無い」というのは全く問題ないと思うのです。
人それぞれの人生ですので。
しかし、「私は人に興味を持てないので、人のために貢献することにも興味が無い。」と誤った思い込みのまま、「人に貢献することに興味がある」という意識を潰してしまうことはとても勿体ない。繰り返しになりますが、人への興味、人のための行動(貢献)はどんなに小さなものでも全く問題ないです。
何故なら、「人に貢献すること」で得られる喜びは、人生で感じる稀少な喜びのうち一つだからです。
「今までは余裕や条件が揃わなくて、人のために何か頑張る機会がなかったけど、人のためにできることがあればやりたいと思っている。今までもとても些細なことを含めれば、人に喜んでもらいたく、あんなことやこんなことをした経験があるし、人のために何かできることは嬉しかったから」
こんな風に思えれば、今すぐにできる小さな行動(貢献)で、簡単にハッピーな気持ちになれるかもしれません。
就活を始める前の大学生であれば、仕事選びの際にただ単に「テレビが好きだから~」と自分の好みで選ぶのではなく、「この仕事を通じてい、他者にどう貢献できるのか」という視点を持って仕事選びをする。
既に働いている人であれば、作業だと思っている仕事も「この仕事、実は〇●さんたちに役立ってるかも?お客さんにとっても~という風に貢献できているかも?」という視点を持って取り組むだけでハッピーになれるかもしれません。
最後の方が雑になりましたが、今日はこのあたりで。
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