好きな人ってできますよね。
人を好きになって直ぐの頃は、好きな人が気になって気になって仕方ないです。
相手は何が好きなんだろう。何をしている時が楽しいのかな。いつも何しているんだろう。
興味が止まりません。
相思相愛の時は、お互いに相手のことを知っていきます。
一方で片思いの場合は、相手のことはどんどん詳しくなっていきますが、私への興味は薄いです。
時が経つほどにこのバランスはどんどん悪くなりますし、早いうちからバランスの悪さには気付きますが、自分が相手を知れば知るほど、相手も自分に興味を持ってくれるのではないかという期待が膨らみます。
自分に特別な興味が向けられていないと気付きながらも、好きだからこそ「相手の好きなもの、好きな音楽、将来やりたいこと、好きな服のスタイル、好きな人のタイプ、誕生日」に詳しくなりますし、一度聞いた相手の好みはなかなか忘れません。
お互いの相手に向けている興味のバランスの悪さに気味悪ささえ覚えます。
ここまで片思いについて書きましたが、理想的な恋愛は「想いのキャッチボール」のようなものだと思っています。
相手の想いを受け取って、自分の想いも受け取ってもらう。この繰り返しを通して、互いのことを互いに良く知り、想いを深めていきます。
あまりに長すぎる片思いは、キャッチボールになっていません。
相手から投げられたボールを捕り続けているので、キャッチボールだと思い込むこともできますが、こちらが投げたボールを捕ってもらえていない状況なのです。
その上、片思いをしている時は、無意識のうちに相手のボールを捕っています。
キャッチボールというよりも千本ノックのようなものなのかもしれません。
こちらを目がけて投げられていないボールまでも、自分に向けられたものだと思い込み、必死で追いかけていきます。必死で追いかけた分、達成感を感じ、相手と自分の想いの差はみるみる開いていきます。
相手のボールをキャッチしただけで喜びを感じてしまって、こちらのボールを投げることすら忘れてしまいます。
こんな状況が続くと、相手の想いや考えのキャッチは上手になりますが、自分のことは知ってもらっていない。
ボールを追いかけまくった結果、最終的には疲弊します。
息切れして初めて気付くのです。
これは、もはや「恋愛」に通ずる「片思い」ではない。
一種の依存的で病的な片思いなんだって。
ここまで相手を想い続けると想いを止めることが難しくなります。
誕生日の1週間前には「そろそろ誕生日だな」と思ったり、「仕事順調なのかな」と相談されていなくても気になったり。
「こんな状況は不健全だ、止めたい」と思ってもノックに慣れてしまった思考は止められません。
しかし、ふとした瞬間にその時は訪れます。
あれだけ相手が気になっていたのに、気にならなくなります。
絶対に誕生日を忘れずにお祝いをしていたはずなのに、ふと忘れる。
絶対に遊びに誘っているはずなのに、誘うリストから外れている。
不健全な千本ノックから卒業できる瞬間です。
相手の誕生日を忘れてしまった時、少し焦りますがホッとしている自分がいます。
やっと卒業できた。
「一途な片思い」と言えばポジティブに受け取られることもありますが、不健全そのものです。
恋愛は想いのキャッチボール。互いに興味をぶつけあって初めて成立するもの。
健全な恋愛には、相手の想いをキャッチする力だけではなく、自分とキャッチボールをしてくれる人を選ぶ力も必要なのかもしれません。
徹底的に千本ノックを受けたことで多くの学びがありましたし、自分の弱さも見つけられました。
人を好きになるっていうのは、やっぱり良いものですね。
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