先日見た映画の感想
簡単にあらすじを・・・
ゲイカップル(ルディとポール)が育児放棄された障害のある子供(マルコ)を養子にしようとした時に起こったゴタゴタについてを描かれています。ルディとポールは、マルコの養育者と認められず裁判沙汰となり、マルコは施設へ。ルディとポールに会うために施設からの脱走を試みたマルコは放浪のあげく死に至る、という悲しい話です。
なんと、実話がベースになっています
「1970年代のニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話に着想を得て製作された映画
かなりの高評価を得ている映画なのでかなり期待して観ましたが、全く理解ができなかった。
先ず、ルディはかなり感情的な人間です。
一方でポール(弁護士)は検事局に勤めているくらいなので、頭は切れて論理的な思考ができます。
1970年代の米国では、ゲイに対してかなり冷たかった様子。
キリスト教信者の多い米国、今でもセクシャルマイノリティーに対する風当たりは強いので、40年以上前の風当たりの強さなんて想像に容易いですよね。
ルディとポールが付き合う中で、2人の関係が周りにバレてしまいます。
ルディが「ゲイも人間んだ!なんで差別されるんだ」とギャアギャアと暴れたり大胆な行動をしたことも重なって、ポールは仕事を首になります。
ポールは弁護士になるためにすごく苦労したのに・・・ルディが感情コントロールをできなかったがために、いきなり無職になってしまうのよ。
ルディは周りを見るというよりは、思ったことを思った瞬間に口に出します。
後先考えない彼の姿に共感できないどころか、イライラしました。
ルディがマルコ(育児放棄された子供)を愛していることはひしひしと伝わってきますが・・・ゲイかどうかではなく、ルディの行動を理解できなかった。
育児放棄された子供を預かろうという志は悪くないですが、
ルディはショーパブでお金を稼いでその日暮らしをしています。
家賃だって滞納しまくり。
こんな風にルディに共感できな私は冷酷な人間なのでしょうか。
確かにルディはマルコに対して無償の愛を注いでいました。
しかし、無償の愛とは、ハグしたり、好きなお話を聞かせてあげる、ということなのでしょうか。
もう少し冷静に考えれば「マルコが施設に入らず自分たちと一緒に暮らすための養育権」を手に入れるためには、ゲイであることを隠したり、自分の感情をグッとこらえる必要があったのではないでしょうか。
ゲイに限らずとも、私たちは普段「自分の全て」を人に見せていません。
自分のことを誰かに認めてもらいたい、理解してもらいたい、と思いつつも、相手の反応やその後の展開を考えて何をオープンにして何を隠すかを無意識に行っています。
ルディがゲイであることは、ルディを構成する様々な事実のほんの一部です。
マイノリティーに対する社会的な差別、偏見があることは事実ですが、「マイノリティー」という括りが無くても、世の中には差別と偏見で溢れています。
感情に任せて自分の想いを口にすることは簡単なことではありませんし、勇気が要ることでもあります。
勇気の使いどころは、コントロールできた時にはじめて意味を持つものではないか。
ルディが女性だったとしても全く同じように思っていたと思う。
この映画を見て「ゲイが差別されて可哀そう」と思うのは安易だ。
(207/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中