『トレインスポッティング』(1996年製作)という映画を見ました。
20年以上も前に製作された映画。ユアン・マクレガーの出世作と言われています。
あらすじはこんな感じ
ヘロイン中毒のレントンは不況に喘ぐスコットランドのエディンバラでヤク中仲間と怠惰な生活を送っていた。人のいいスパッド、モテモテでジャンキーのシック・ボーイ、アル中で喧嘩中毒のベグビーらと悲惨な現実を前にしてもドラッグやナンパ、軽犯罪やクラビングを繰り返す毎日。そうこうするうちスパッドが受刑者となりレントンは何度目かのドラッグ断ちを決意。必死の麻薬治療を受けた彼は、ひと旗揚げようとロンドンで仕事を見つけ真っ当な生活を目指す。しかし、未だ更生しないベグビーらがそんな彼を追いかけてきた。
ちなみにタイトルの「トレインスポッティング」の意味は「麻薬中毒者」
トレインスポッティングの本来の意味は、(少しばかり熱心な)鉄道ファン。テツです。鉄道の操車場にドラッグを注射しにいく連中を「ヤツらは鉄オタだ」とジョークのネタにしたのが、映画『トレインスポッティング』のタイトルの意味です。
タイトルまでばっちりキマってますね。
早速、感想を書いていきます。
感想
薬物、怖い
主な登場人物は4名。薬物中毒の若者の生活はお世辞にも羨ましいとは言えません。彼らは、何か嫌なことがあったら直ぐにヘロインを欲しがります。ヘロインを購入するために、親の金をくすねたり、強盗まで。
ヘロイン中毒の女性が育児を怠った結果、赤ちゃんを死なせる事件も発生。悲しみに浸る間も無いまま、現実逃避のためにヘロインを吸引。このシーンはかなりドン引き。これが中毒者たちなんだ・・・
主人公レントン、ある出来事をきっかけにヘロインを絶った時には、禁断症状で色んな幻覚を見ます。正に地獄絵図。この映画のメインメッセージは「麻薬は絶対ダメ」では無いはずですが、映画を見終わる頃には、ヘロインの恐ろしさが嫌となるほど分かります。
ちなみにユアンマクレガーをはじめとする俳優が2週間、薬物中毒者の更生施設で薬物の扱い方や禁断症状に関するレクチャーを受けたそうです。さすが、リアル。
友達は選べ
ヘロイン漬けの登場人物たちには、トミーという友達がいました。サッカーと筋トレが好きでヘロインは吸わない。しかし、悲しい出来事をきっかけにトミーはレントンにヘロインを求めます。最終的にはヘロインの注射からエイズ感染、拍車をかけるようにヘロインに溺れ、綺麗だった家もぐちゃぐちゃになっていき、最終的には亡くなります。
トミーがもし、「サッカー好きの薬物には興味のない人」と親しかったらこんなことになっていたでしょうか。
単に遊ぶだけならいいですが、一緒に過ごせば、価値観やライフスタイルなど様々なものから影響を受けることは避けられない。
「絶つこと」は難しい
レントンがヘロインを経った後は不動産の仕事に就いて「まとも」に暮らしていました。しかし、強盗容疑で警察に追われている悪友ベグビーが彼の家に居候します。ベグビーは、薬物には手を出していませんが、酒を呑んでは直ぐに周りの人をボコボコにするような厄介な人物。レントンはそんなベグビーを「友達だから仕方ない」と普通に接し、家に泊めてあげます。
既に薬物を断つことの難しさ、薬物の怖さについて書きましたが「今までの自分を断つこと、自分を変えること」にもかなり苦労することが分かります。
「友達は選べ」とも通じますが、自分が変わりたくても「変わろうとする自分」にとって「今までの友達」は敵。レントンは映画の最後の最後で、友達を裏切り、ヤクで大儲けしたお金を持って逃亡します。
この裏切りは、本当に厄介なベグビーを「友達だから」と受け入れて大切にしていた自分との決別を意味している様に見えました。レントンは常に「こんな自分を変えたい」「この環境から抜け出したい」と思っているように映っていました。
映画の冒頭に印象的なフレーズが出てきます「未来を選べ、人生を選べ」
「レントンは最後の最後で友達の金を持って逃げる様な本当の腐れ野郎になってしまった」のではなく、ドラッグ漬けの腐った世界に入り浸る悪友たちから距離を置く。「実現したい自分の未来、歩みたい自分の人生を自分で選んだ」というレントンの変化を象徴するハッピーエンドに見えました。
まとめ
2017年には続編「T2 トレインスポッティング」が公開されたようですが、個人的にはこの1作だけで十分。彼らのその後はあまり見たくない気がします。
でもやっぱり見ちゃったりして・・・(笑)
「自分の人生ってなんかつまらないなああああ」と悶々とする時に見ると爽快な気分になれる。そんな映画でした。
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