身近な「学び」を楽しいと感じたこと、ありませんか?
- ちょっとした失敗からの学び。
- 過去の経験と現在の経験が繋がった時の「あの時の経験にはこういう意味があったのか!」といった学び。
仕事、職場での人間関係、友人関係、家族との簡単な会話の中ですら「学び」は溢れています。
一方で「勉強」を楽しいと感じる方は少ない。
- 学校の期末試験
- 受験勉強
- 資格試験の勉強
テストで高得点を取ることを「ゲーム」のように捉えている方は、勉強に楽しみを感じるといいます・・・(私は無理ですw)
以上のように書きましたが、そもそも「学ぶ」と「勉強」の違いはなんでしょうか。
一見すると同じ意味に見えます。
学ぶ
一 ( 動バ五[四] ) 〔「まねぶ(学)」と同源〕 ① 教えを受けて知識や技芸を身につける。 「大学で経済学を-・ぶ」 「遠近法を-・ぶ」 ② 勉強する。学問をする。 「よく-・びよく遊べ」 ③ 経験を通して知識や知恵を得る。わかる。
勉強
1 学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で勉強する」「音楽を勉強する」2 物事に精を出すこと。努力すること。「何時までもこんな事に―するでもなし」〈福沢・福翁自伝〉3 経験を積むこと。
引用元:Yahoo!辞書
「学ぶ」の説明には「勉強」の記述、「勉強」の説明には「学ぶ」の記述があります。分かり易くするために、「学ぶ」と「勉強」の被っていない部分の意味を抜粋しました。
学ぶ
③ 経験を通して知識や知恵を得る。わかる。
勉強
物事に精を出すこと。努力すること。
参考元:Yahoo!辞書
「勉強」は「努力すること」です。
一方で「学ぶ」は「自分の経験を通して物事を自分なりに解釈したり考える自由」があります。
勉強と言えば、学校の期末試験、資格試験(TOEIC、宅建、秘書検定、ITパスポートなど)、受験勉強ですが、インプット(記憶)したものを綺麗にアウトプットできるかどうかが問われているため、引き出しに物を入れてそれをそおっと外に出す能力を測られているだけです。
これってとても機械的な学習だと思うんです。
自分の主観などを加えることを一切与えられない。
「勉強」はプロセスにオモシロさが無い点が「学び」との最大の違いです。
しかし、「勉強」は「社会」の「王道」を生きていくためには必要なため「つまらない」という理由だけで避けて通れません。
例えば、受験勉強を避けたり、もしくはFacebookを立ち上げたマーク・ザッカーバーグやホリエモンのように中退し、実力だけで社会を引っ張るリーダーとして生きていく道はありますが、皆がみんなそのように成功できるわけではありません。
TOEICのスコアも英語ができる人には不要なものだと思う人もいます。しかし、万人に対して、客観的に自分の英語力を伝えるには、必要不可欠です。
で、やっと言いたいことに到達しました。
「勉強」はつまらないけど「社会で生きていくために必要」。
こんなこと、一億年前から分かっていましたが、社会人としてTOEICの勉強が嫌で嫌で仕方なかったので、こうして書き出してみました。
気付いたことが一つあります。
「勉強は機械的なインプットアウトプットで大変つまらないもの」ということは確かなので、苦行の末の「ご褒美」を設定する必要があると思ったのです。
最近の目標TOEIC950点。
目標を達成すれば、「目標達成できたこと」に喜びを感じるかもしれませんが、「950点であること、全受験者の上位2%以内に入ること」なんて何も嬉しくありません。
ただただ「社内で優位に立つ」という「社会で生きていくために必要なもの」なので取り組むだけなのです。
というわけで、勉強にはご褒美を!
学生時代はお金が無かったので「ご褒美」をなんて言っていられませんでした。その代り、時間があったので自分を追い詰めすぎずに勉強していました。
しかし、社会人は時間がありません。自分を追い詰めるのであれば「ご褒美」は必要です。
ここまでダラダラと書きましたが、私の主張はシンプルです。
社会人が勉強をするなら「ご褒美」を設定しよう!
「苦行の末のご褒美。」なんて甘美な響きでしょうか。
TOEIC受験の末のご褒美を何にするか考えているところです。とても楽しい。考えるだけでも楽しい。←勉強しろ
(251/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中
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