マネーボールという映画を見た。
映画の感想というか、映画を見て思ったことを書く。
最近、統計の勉強全くしてないしな・・・
勉強するきっかけというかモチベーションになるかなと思って視聴。
※その時間に勉強しろよというツッコミはお断り
主人公のビリーは大リーグの貧乏弱小野球チームのジェネラルマネジャーを務める。
セイバーメトリクスで経営危機に瀕した球団を救うという話。
この「セイバーメントリスク」というのがストーリーの鍵を握っている。
ビリーは「勝利」のために、勝てるチーム作りを試みる。
しかし、そんなビリーを支えるのは年老いたスカウトたち。
年老いたスカウトは「あいつのスイングは良い」「あの選手の彼女はイケてない」「あいつは人気が出る」と野球素人の私が見ても分かるくらい、感覚的に野球を捉えていた。
ビリーが何か言うと「俺たちには選手を見る目がある。チームを勝利に導く選手は俺らが分かっている」
何の根拠もなく、経験の長さが根拠だと言わんばかりのグチャグチャな言い分を浴びせる。
そんな時にビリーが出会ったのが「セイバーメントリスク」。雑に言えば、経験や勘で選手を見るのではなく「データに基づいて客観的に勝利するためのチーム作りの考え方」
この「セイバーメントリスク」を武器にチーム作りをしようとするビリーを邪魔するのは、あの「年老いたスカウトたち」だった。
「野球はデータやパソコンで分かるものではない。俺たちスカウトの方が良く分かっているんだ。お前は頭がオカシイんじゃないか。」
あー、この光景。
職場で似たような場面に遭遇したことがある。
「うちの業界はさ、~で分かるようなものじゃないんだよね・・・そういうのじゃないんだよ」
映画を見ていたのに職場の情景がフラッシュバック。
ビリーはそんなスカウトたちに問いかける「あんたたちは、何が問題なのか分かっていない」
スカウトは「いや、分かっている」と反論しつつもやはり「何が問題なのか」全く答えられない。
スカウトたちはビリーよりもはるかに年上だったが、ジェネラルマネージャーのビリーは「立場で上」だったので、スカウトを無視して自分の考えを貫き行動を進める。
また、ビリーは元々「セイバーメントリスク」を知っていたわけではなく、他の野球チームでスタッフをしていたイェール大卒のピーターから教えてもらって知った。「セイバーメントリスク」について詳しいピーターが何故、元々いたチームでその理論を実践してなかったのか。
それは、ピーターが無能だからではなくチームを自由に動かすための「権限」を持っていなかったからだった。ピーターの「セイバーメントリスク」は元のチームでは評価されず、変人扱いされていたが、ビリーは彼の理論に興味を持ち、ピーターを自身の補佐として引き抜いた。
正しいことをするにも自分が行動をできる「権限」を持っている必要があるのだ。
何かやりたいことがある時、
何かをやり遂げるだけの「熱意」「権限」「スキル」が必要なのだと映画を見ていて学んだ。
一人で何かをする時は「熱意」「スキル」だけで十分かもしれない。
しかし組織で一定以上の規模で行動を起こそうとすると「権限」が必要だ。
「自分が役職につく」、「役職者からの支持を得る」、権限を手にする方法は何であれば、公式な「GOサイン」というのが必要になる。
では、この「権限」は「地位」が無いとダメなのか。
決してそういう訳では無いと思う。
地位があれば楽だが、地位がなくても「あいつが言うことなら正しいのかもしれない」と思われるような「信頼」を周りの人から得ておけばいい。
自分には、何かを決定する権限が無くても、権限のある人をその気にさせれば良いだけなのだから。
「またあいつ、変なこと言ってるな。だけど、あいつが言うことなら信じてみても良いかもしれない」こんな風に思われることはかなり困難なことだと思う。
しかし、自分がある程度の地位まで上り詰めるまで待つよりも、こう思われる人間になる努力をする方がやりたいことに早く近づけるのではないか。
話は飛ぶが、ビリーは元々プロ野球選手だった。
スタンフォード大学の奨学生も約束されていたが、「お金」で野球選手を選んだことをにおわせるシーンがある。そしてそれを後悔していた。
仕事はお金を稼ぐための手段であるが、お金で全てを決めるべきではない。
先程の「熱意」に繋がることかもしれないが、お金だけを目がけて仕事をすると「辛い時」を乗り越えられない気がする。
統計のモチベアップのつもりが、処世術について学ぶ機会となった。
(書籍版)
仕事をしている人なら、この映画から学べることはとても多い。
時間がある人は是非見てみて欲しい。
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