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ケバブが憧れの食べ物ではなくなる瞬間

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誰もが子供の頃は考えたことがあるだろう「腹いっぱいに~を食べてみたい。」

私は「ケバブ」を腹いっぱいに食べてみたかった。

 

ケバブ」を初めて知ったのは、中学2年生ぐらいの頃。上野のアメ横で初めてケバブ屋さんをみた。今までにないスパイシーな香りに、中東系のお兄さんが「おいぃしぃいケバブだよーーー!」と大声で客寄せをしていた。ドキドキしながら近づき、初めての味にかぶりつく。ジューシーなお肉に辛いソース、こんなに美味しい食べ物がこの世にあったのかと驚いた。

帰宅してからもあの美味しさを思い出しながら、また度食べられる日は来るのだろうか?と思っていた。家の近くにはケバブ屋さんが無かったこととハンバーガーの様に手軽に食べられるにも関わらず、600円もするケバブは中学生の私には、憧れの食べ物となった。

 

高校生の頃は、一時期「移動式のケバブ屋」が近所に来るようになった。帰宅時にケバブ屋さんを発見するとお小遣いから奮発して購入する。たまーにくるケバブ屋のトラックを見つけた日は、すごくラッキーな気持ちになった。しかし、数カ月も経たないうちにケバブ屋さんは来なくなってしまった。警察に注意でもされたのだろうかと心配になる。

 

大学生になると、大学やバイト先の近くにあった色んな食べ物に手を出した。ベトナム料理、タイ料理、インド料理、等々。色んな国の食べ物を食べても依然、ケバブが私にとって特別な食べ物であることは違いなかった。大学4年生の時、近所にケバブ屋さんができた時は飛び上がるくらい嬉しかった。アルバイトをしていても大学生の時はいつもお金が無かったので、ご褒美としてケバブを食べる。一つ購入する度にポイントカードにスタンプが溜まっていく。10ポイントが溜まると無料でケバブ1つと交換。1年のうちに2回無料ケバブをゲットした。

 

 

そうしているうちに社会人になった。ある日、普段は歩かない道でケバブ屋さんを見つけた。とても美味しそうだった。近所のケバブ屋さんとの味比べをしたい、と思ったのと同時に「今はお腹が空いていない。食べようと思えばいつでも食べられるからいいや」と思っている自分に驚いた。学生の頃は、「お金が無いから」という理由でケバブを我慢したが、今となっては「お金はあるのに」ケバブを食べなかった。

 

中学生の頃の自分は「毎日ケバブを食べたい」というくらいケバブを欲しがっていた。しかし、今となっては「毎日ケバブを食べることのできる条件」が揃っていても実行しない。

腹いっぱい食べると自分にとってのケバブの価値が下がることを恐れている。

「特別」を失わないために、自分の中での「希少性」を維持するために流通量を調整しているようだ。

 

無限に食べれる時点で、「憧れ」では無くなってしまう。 

 

人が一生のうちに食べることのできる憧れの数は、決まっているのかもしれない。

 

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