ブロギングなう

毎日ブログを書けば文章力が上がるのかを検証中

【日記】残念かよ。「人のこと嫌いでしょ」と色んな人から言われる。

私は損をするタイプかもしれない。

ほとんどの人から「人間嫌い」だと思われている。

「一人でいるのが好きなんでしょ」とよく言われる。

 

私が嫌いなのは「馴れ合い」である。

大して相手のことも知らないのに一緒に写真を撮ってFacebookにアップしたり、小旅行に出かけてはしゃぐのが好きでなない。

白けてしまう。

 

そういう集まりへの出席を拒んでしまう。

だから「人間嫌い」と思われるのかもしれない。

 

何よりも人とじっくり会話することが好きである。

会話からその人の考え方や話すしぐさからちょっとした癖を知るのが好きなのだ。

時に、観察対象として人を好きなだけなのかと錯覚してしまうほど、人を知るのが好きだ。

 

深く知った相手には、求められれば自分の時間は可能な限りかける。

「こんなにしてくれるのは~だけだよ」と言われることも珍しくない。

相談されたり、相談したり、そうやって人と繋がっていくのが大好きだ。

 

人と関わっていないと自分の存在意義が揺らいでしまう気もする。

 

一方で、「一人でいるのが好きなんでしょ」と言ってくるような人との会話は一秒でも早く切り上げる努力をする。

彼らが勝手に持っている「私のイメージ」を押し付けて満足しているように見えるからだ。

だから、「一人でいるのが好きなんでしょ」と言われると否定せずに「そうですね」と答える。

間違えても「そんなこと無いよ」と答えて会話を続けない。

 

 何故なのか分からない。

人がいないと生きていける 自信が無いのに、なぜこんな質問を良くされるのか。

 

 

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【マネーボール】映画から学んだ。仕事で何かをしたい時に「熱意」「スキル」に加えて必要なこと。

マネーボールという映画を見た。

映画の感想というか、映画を見て思ったことを書く。 

マネーボール (字幕版)
 

最近、統計の勉強全くしてないしな・・・

勉強するきっかけというかモチベーションになるかなと思って視聴。

※その時間に勉強しろよというツッコミはお断り

 

 主人公のビリーは大リーグの貧乏弱小野球チームのジェネラルマネジャーを務める。

セイバーメトリクスで経営危機に瀕した球団を救うという話。

セイバーメントリスクとは・・・
野球を統計学的手法をもって分析することをセイバーメトリクスと呼ぶ

引用元:セイバーメトリクス - Wikipedia

 

この「セイバーメントリスク」というのがストーリーの鍵を握っている。

 ビリーは「勝利」のために、勝てるチーム作りを試みる。

 

しかし、そんなビリーを支えるのは年老いたスカウトたち。

年老いたスカウトは「あいつのスイングは良い」「あの選手の彼女はイケてない」「あいつは人気が出る」と野球素人の私が見ても分かるくらい、感覚的に野球を捉えていた。

ビリーが何か言うと「俺たちには選手を見る目がある。チームを勝利に導く選手は俺らが分かっている」

何の根拠もなく、経験の長さが根拠だと言わんばかりのグチャグチャな言い分を浴びせる。

そんな時にビリーが出会ったのが「セイバーメントリスク」。雑に言えば、経験や勘で選手を見るのではなく「データに基づいて客観的に勝利するためのチーム作りの考え方」

 

この「セイバーメントリスク」を武器にチーム作りをしようとするビリーを邪魔するのは、あの「年老いたスカウトたち」だった。

 

「野球はデータやパソコンで分かるものではない。俺たちスカウトの方が良く分かっているんだ。お前は頭がオカシイんじゃないか。」

 

あー、この光景。

職場で似たような場面に遭遇したことがある。

 

「うちの業界はさ、~で分かるようなものじゃないんだよね・・・そういうのじゃないんだよ」

 

映画を見ていたのに職場の情景がフラッシュバック。

 

ビリーはそんなスカウトたちに問いかける「あんたたちは、何が問題なのか分かっていない」

スカウトは「いや、分かっている」と反論しつつもやはり「何が問題なのか」全く答えられない。

スカウトたちはビリーよりもはるかに年上だったが、ジェネラルマネージャーのビリーは「立場で上」だったので、スカウトを無視して自分の考えを貫き行動を進める。

 

また、ビリーは元々「セイバーメントリスク」を知っていたわけではなく、他の野球チームでスタッフをしていたイェール大卒のピーターから教えてもらって知った。「セイバーメントリスク」について詳しいピーターが何故、元々いたチームでその理論を実践してなかったのか。

それは、ピーターが無能だからではなくチームを自由に動かすための「権限」を持っていなかったからだった。ピーターの「セイバーメントリスク」は元のチームでは評価されず、変人扱いされていたが、ビリーは彼の理論に興味を持ち、ピーターを自身の補佐として引き抜いた。

 

正しいことをするにも自分が行動をできる「権限」を持っている必要があるのだ。

 

何かやりたいことがある時、

何かをやり遂げるだけの「熱意」「権限」「スキル」が必要なのだと映画を見ていて学んだ。

一人で何かをする時は「熱意」「スキル」だけで十分かもしれない。

 

しかし組織で一定以上の規模で行動を起こそうとすると「権限」が必要だ。

「自分が役職につく」、「役職者からの支持を得る」、権限を手にする方法は何であれば、公式な「GOサイン」というのが必要になる。

 

では、この「権限」は「地位」が無いとダメなのか。

 

決してそういう訳では無いと思う。

地位があれば楽だが、地位がなくても「あいつが言うことなら正しいのかもしれない」と思われるような「信頼」を周りの人から得ておけばいい。

自分には、何かを決定する権限が無くても、権限のある人をその気にさせれば良いだけなのだから。

「またあいつ、変なこと言ってるな。だけど、あいつが言うことなら信じてみても良いかもしれない」こんな風に思われることはかなり困難なことだと思う。

しかし、自分がある程度の地位まで上り詰めるまで待つよりも、こう思われる人間になる努力をする方がやりたいことに早く近づけるのではないか。

 

 

話は飛ぶが、ビリーは元々プロ野球選手だった。

スタンフォード大学の奨学生も約束されていたが、「お金」で野球選手を選んだことをにおわせるシーンがある。そしてそれを後悔していた。

仕事はお金を稼ぐための手段であるが、お金で全てを決めるべきではない。

先程の「熱意」に繋がることかもしれないが、お金だけを目がけて仕事をすると「辛い時」を乗り越えられない気がする。

 

マネーボール (字幕版)
 

 

 

統計のモチベアップのつもりが、処世術について学ぶ機会となった。

 

 

(書籍版)

マネー・ボール〔完全版〕

マネー・ボール〔完全版〕

 

 

仕事をしている人なら、この映画から学べることはとても多い。

時間がある人は是非見てみて欲しい。

(82/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

【日記】4年前に心を奪われた憧れの時計、スカーゲン。購入するため売り場へ向かった。

欲しくて欲しくてたまらない「憧れのもの」を手に入れた時の喜び。

見ているだけで嬉しくなり、自信も湧き上がってくる。

 

スカーゲン(SKAGEN)という時計がある。

学生時代から実に4年近くも「スカーゲンが欲しい」と思い続けてきた。

[スカーゲン]SKAGEN 腕時計 HAGEN SKW6279 メンズ 【正規輸入品】

 

価格帯は2万円~3万円と比較的リーズナブルな北欧デンマーク発の時計。

学生の頃は2万円をとても高価に感じ、遠い存在に感じていた。

 

社会人になったことだし、憧れだったスカーゲンを手に入れるべく、昨日、今日、時計売り場へ向かった。

 

自分にはきっとこのタイプが似合うはずだ、と試着を繰り返す。

アマゾンやお店で色んな種類のスカーゲンを見て、身に着けた姿をイメージしてきたので似合う自信があったし、着けた時の喜びも凄まじいものだと思っていた。

 

しかし、何かが違う。

もっと似合うはずだし、もっと嬉しいはずなのに。

全然嬉しくないし、着けていると違和感がある。

こんな自分を信じられなく思い、お店の迷惑も考えずに次々と試着を繰り返す。

しかし、着ければ着けるほど違和感は増していくばかりだった。

 

「全然欲しくない」

 

あんなに欲しがっていたのに。

数年経っても「憧れ」であったのに、実際に着けてみると全く嬉しく無かった。

 

時計を買わなかったので約2万円の出費は抑えられた。

しかし、「憧れ」と出会うことはとても難しい。

「憧れのもの」はお金出せば買えるが「自分が何かに憧れるワクワクする気持ち」は、お金を出しても得られるものではないからだ。

 

数年前に「憧れのスカーゲン」を手にしていたら、今もその時計を大切に使い続けていただろうか。それとも数年後の今になれば「やっぱり、何か違う」と思い始めたのだろうか。

どちらにせよ、憧れを手にした時だけ感じられる「特別な気持ち」を得る機会は失ってしまった。

 

なんとも虚しい気持ちになったのは久しぶりだった。

憧れには有効期限がある。

憧れを手に入れるためには少しでも無理をした方がいいという話は真理かもしれない。

 

(81/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

 

 自分には似合わなかったし、憧れではなくなったが

やはりスカーゲンのデザインは洗練されていて見ていると欲しくなる。

 

【HSP日記】考えていることを口に出すことはやはり難しいのではない。人を信頼するのが難しいんだ。

少し前にこんな記事を書いたが、 



やっぱり、自分の考えを人に言うことは難しい!

 

何が難しいのかというと、同じことを言うのであっても「相手」によって難易度が変化することに気付いた。

 

「苦手な人」「距離がある人」はやはり、自分の考えを言うことが難しいなと思った。

信頼できないからだ。

 

前回の記事では「もっと信じよう」と言っていたのに・・・

そっか「人を信頼することが難しい」のか。

 

うーーん・・・

人を信頼するのって難しいな・・・

 

昔から、人の些細な違いとか、嘘に気付きやすいタイプなのだ。

無駄な威力を発揮してたまに「予知」のようになるので友達に「やっぱり、〇●が言ってたことが合ってた」と驚かれる。

ただし、気づきやすいせいで「気にしてもどうしようもない」ことに沢山気付いてしまう。

プロフィールにも書いてある通り、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)なので仕方ないのかもしれない。

 

 

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【日記】志望大学ではない大学への入学が決まった時の「残念」な気持ちを引きずらずに、大学生活を満足に送れたのは何故なのか。

色んなものを考える際に役に立つと思うので、自己分析をダラダラと書いてみる。間違ってこのページに来てしまった方は、誰にでも役立ちそうな以下の記事をどうぞ。

 

 

なぜ社会人になって大学時代の自己分析か。

人からよく質問されるからだ。

 

「大学時代、何で自分で考えて自分で行動できたの?」

 

行動したと言っても世界大会で1位になったとか、何とか賞を受賞するとか功績を残せた訳ではない。

ただ単に、自分なりに成長できて自己満足度が高いというだけなのだ。

 

前置きはさておき、

 

大学1年の頃の自分を振り返る。

今でも鮮明に覚えている。

桜の花が散る中で、大学の入学式を迎えた。

正門の前に書かれたA大学という名前。

「ここで4年間過ごすのか・・・」

大学名を見て、少し残念な気持ちになったことを覚えている。

 

大学受験の際は、自分の中で①~③で大学を区分していた。

①チャレンジ校 ②行っても良いな校 ③まあまあ行ってもいいかな(滑り止め)

行きたい学部があったので、最悪どの大学でも学べることは学べるからどこでもいいやという気持ちはあった。

 

中でも「②行っても良いな校」B大学は、模試の合格判定で行ける可能性が高かったので、①に次いで志望度が高かった。

しかし結果はB大学に落ち、全く考えていなかった②に該当するA大学に合格してしまったのだ。

不本意とまではいかないが「不意打ち入学」をした。

 

こういった経緯で「A大学」と書かれているのを見て嬉しくも悲しくもなかったが、何となく「残念」な気持ちになったことを覚えている。

AもBも偏差値は変わらないが、B大学の方が自分に合うと思っていたし、特に理由は無いがBに行きたかったのだ。

自分の中で狙っていたB大学、むしろ行けると思っていたのに行けなかったので「なんだかなー」な気持ちだった。

 

そうやって入学したA大学だが、1年生春学期の成績はボロボロだった。

専門科目の「~入門」という科目は、「ほとんどの人が簡単に単位を取れるし、2,3年生になると専門の勉強が難しくなるので、このレベルの科目を落とすのはマズい」とウワサの科目で単位を落としてしまうぐらい、ボロボロだった。

大学生活にも慣れていない、始めたばかりの塾講師のアルバイトに慣れていない、追い打ちをかけるように、私を除く家族全員が5月から入院生活を送る、なんだかんだで金銭的に余裕が無かったので教科書代をケチって図書館で本を見ていた等とメチャクチャでもはやグチャグチャな大学生活の幕開けだった。

 

続きはまた今度・・・

(79/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

大馬鹿野郎か!「奢らせないこと」が粋だと思っていたのだから。

「ねえ、アイス奢ってよ」とか「ご飯奢ってほしい」と言ってくる人たちが大嫌いです。

 

「奢って!」と言っている人を見ると「何様だよ(ボソォ)」と思ってしまうので。

 

一方で、大学時代に社会人と交流し「先輩から奢られること」を学んでいきました。

会計の時に「払いますよ」と申し出ても大抵の大人は

「君が社会人になったら、後輩に奢ってやれ」と嫌な顔一つせずに奢ってくれました。

多くの大人から受けた恩を返すべく、大学4年生の頃から「後輩には奢る」ということを始めました。

 

社会人になっても「後輩へ奢る」は続きます。むしろ「奢らない」という選択肢は残されていません。

「●◎さん、質問があります、聞きたいことがあります」と頼まれたついでに後輩にご飯をご馳走することには抵抗感は無かったですし、学生時代に大人から受けた恩を返せている気がして嬉しい気持ちになりました。

 

ただし、「奢って!」と言ってくる人に対する嫌悪感が根底にあったせいか、「同世代から奢られること」への嫌悪感は持ち続けます。

 

1年前に友人からこう言われたことがありました。

「この前お世話になったからお礼に今度奢るね!」

 

「人から奢られること」に嫌悪感を感じていたのと相手に負担を感じさせたくないという気持ちから

「そういうの要らないから気持ちだけで十分だよ」と断ってしまいました。

 

当時は、上手に断って相手の(金銭的な)負担にならずに良かったと思ったのですが、

断った時の相手の表情が忘れられません。

なんだか残念そうな顔をしていたのです。

 

この時は、なんで相手が残念そうな表情をしているのかという理由が分かりませんでした。

 

この出来事から約1年経ってようやく気付くことができました。

「奢る」というのは、相手が感謝を示す方法でもあるんだと。

私が後輩に何の抵抗もなく、寧ろ嬉しい気持ちで「奢っている」のは、自分に奢ってくれた先輩への恩返しができている気がしたからでした。

 

私に対して「奢りたい」と思った人もきっと同じ気持ちだったのでしょう。

「感謝を示したい」と思って「奢るよ」と言ってくれたのを断ってしまったなんて、私はなんて大馬鹿野郎なんでしょうか。

 

おまけに、相手が「ありがとう」と言われる権利まで奪っていることに気付きました。

奢ってもらっていれば、私は絶対に相手に感謝を述べていたはず。

人は人から感謝されることほど嬉しいことはありません。

つまり「奢る」とは、「人に感謝を示せる」だけではなく、「感謝を示したことに対して感謝される」という相手にとってダブルでお得な行動だということに気付きました。

 

こうして、奢られた側(感謝を示された人)と奢る側(感謝を示された人から感謝される)は、「感謝」を通して絆を強くできると言っても過言ではありません。

 

1年前の私に教えてあげたいです。

あなたが「無為意味におごって~~」と言ってくる人に対して嫌悪感を抱いているのは自由だけど「奢るよ」と言ってくる人を拒む必要は無いんだよ。

寧ろ「奢るよ」と言われたら素直に受け入れてそれに対してちゃんと感謝を伝えればいいんだよ。

 

「奢って!」と言ってくる人が大嫌いなあまりに、とても当たり前なことが分からないようになってしまっていることに気付きました。

 

 

 

1年前に「奢るよ」と言ってくれた人に今から連絡取ろうかな。

「ねえねええ?1年前に焼肉奢るって言ってくれたよね?焼肉食べたいんだけど奢ってくれる?」

時すでに遅しです。

相手はとっくに忘れてしまっているかもしれません。

とても貴重な機会を逃したと、ただただ後悔しています。

 

「奢ってくれるの?ありがとう!」

次の機会は絶対に逃さずに言ってやろうと思います。

 

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【エッシャー美術館】あの「だまし絵」が見れる!見どころ、入館料、ほか

訪問日:2016年1月5日(火)

一人ハーグ旅の続きです。

 

マウリッツハイス美術館の作品にウットリし、ビネンホフを通って、ハーグ歴史博物館を目指して歩いていたら、

道に迷いました。

 

少しウロウロしていたら道路工事の兄ちゃんに声をかけられる

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「どこ行きたいんだ?エッシャーだろ?だよな、俺は何だって知ってるんだぜ!エッシャーの行き方はかくかくしかじか・・・・」

ハーグ歴史博物館を目指す私にエッシャーの行き方を教えてくれました。

 

訂正するのも面倒くさく、これは神からの思し召しだと思ったのでエッシャーへ向かう。

 

 

豪華なエッシャー美術館

 

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入場料€9

開館時間は11:00~17:00

休館日は月、1/1、12/25

 

 

エッシャー美術館は、オランダの女王エンマ(1858-1934)が冬期に滞在していた「ランへ・フォールハウト宮殿」を利用しているそうです。

美術館の名前も「Escher in The Palace」で、その名残か内装も豪華。

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道路工事の兄ちゃんに案内されるがまま、

エッシャー美術館って何それ美味しいの?」という状態で訪問したわけですが、

作品を見て気づきます。

 

知ってる!これがエッシャー

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これ!中学の美術の教科書に載ってるものではないですか!

無限に水が流れるこの絵に感動して、つまらない授業を受けている時はこれを描いて時間を潰していたことを思い出しました(勉強しろや)

 

このだまし絵を描いたのはエッシャーさんだったのねー。

メモメモ~。

これで一つ賢くなりました。

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パッと見ると「フーン」と通りすぎてしまいそうだったが

3秒ぐらい見ると「なんじゃあこりゃああああ!!!」と気付く

 

しかもこれ版画らしい。

 

エッシャー木版画(ウッドカット (ウッドカット)、木口木版(ウッド・エングレーヴィング ウッド・エングレーヴィング)、リトグラフを製作。木版画には、小さな彫刻刀を用いて、平らな版木に図柄を彫りあげました。彫られていない部分に自らインクを塗り、自ら刷り上げたものです。

引用元:エッシャー美術館の宮殿へようこそ

 

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この日は一人行動だったので、

「なんじゃあこりゃああああ!!!」を心の中で消化するのが大変だった。

とは言え、口から出るのは「スゲー、スゲー、なんじゃあこりゃああああ!!!」とボキャ不足な感想なので友達と見ても会話は弾まない可能性が大です。

 

「すごいね!」

「すごいね!!!」

 

「すごいね・・・」

「・・・すごいね・・・」

 

こんなどうでもいい会話を永遠に続けることになりそう。

 

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一生懸命に絵をみると目がシパシパ

内装を見て休憩

 

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どの絵を見ても

「なんじゃこりゃ!あああ!!」って

 

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 どの絵を見ても、引き込まれるので

長居してしまいました。

3階ではエッシャーの世界観を体験

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このWindows XPだまし絵かと思ったら単なる「準備中」

こりゃ、一本取られましたわ。

2016年にXP使ってるなんてね。

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3階には、こんな感じでエッシャーの世界観を体験できるコーナーが複数あった

 

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とこんな感じで感動しっぱなし

全て見終えてエッシャー美術館を去ります。

 

エッシャー美術館、訪れる価値◎

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エッシャーさんの作品ってめちゃくちゃ人気らしく、美術館で友達になった人は「エッシャーの作品」を見るだけのために遠路はるばるドイツから来たって言ってました。

 

下手にハーグ歴史博物館行かずに良かった。

道路工事の兄ちゃんはもしかして旅の妖精だったのかもしれない。

ありがとう!(適当)

 

有名な絵について沢山勉強できただけではなく、 

ドイツの友達もできたエッシャー美術館

旅の妖精さんに感謝しつつ、次の目的地「ハーグ市立美術館」を目指して歩き始めるのでした。

 

旅は続く 

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