ブロギングなう

毎日ブログを書けば文章力が上がるのかを検証中

祝・ブログ毎日更新100日目だからなんだし。別に何にもないし。

気付いたら毎日ブログを更新して100日目になっていました。

 

so what ですね。

 

 過去に30日目記念や、60日目記念で記事を書いた時とは大分違う気分です。 

少なくとも60日目までは「毎日ブログ更新して偉い」と思っていましたが、

 

今となっては、ネットという大海原にゴミのような情報を垂れ流していて申し訳ない。

ただ「ブログってそんなもんだろ」と逆切れに近い吹っ切れで乗り越えています。

ゴミも何かの肥料になるかもしれないですし。

こんなこと思う余裕があるぐらい、ブログ更新が習慣となってしまったということでしょう。

 

また「毎日更新」の定義も少し緩めました。起きているうちは12時を回ろうが前日の更新としてカウントするということです。

日付変更をタイムリミットにするのが大ストレスだったのと、別にギネス記録を目指してるわけでもないので、「自分で決めた1日更新」を達成すればいいやん。

 

連続更新を達成したこと自体は冷めた目で見ていますが、「続けられた理由」は当初と変わらず、読者の皆さんのお陰だなと思うわけです。

 

記事についている星であったり、ブックマーク。

いつも見てウキウキしています。

ブックマークにコメントもたまに付いていて嬉しくて、、でも返信の方法が分からずでモヤモヤして。

星は、ほぼ同じアイコンがいつも並んでいて安心したり。

 

やっぱり、「何かやる」ってのは一人でできるものではないな。

 

これは常々思うことです。

「何かできた」というと、どうしても「私がこんだけ頑張ったからできたんだ」と最初は思いがちですが、少し冷静になるとそんなことあり得ないことが分かります。

 

自分の頑張り+誰かの支え(精神or物理的)

 

「自分も人の支えになりたい」と思ってくるわけです。

 

一人で全ての人の支えるのは不可能ですが、一人ひとりが自分のできる範囲で「人を支える」を意識していれば、「支え」合いのリレーができる。

良い感じで、皆が皆のことをそれぞれの得意分野で支えれば良いのに。

こんな呑気なことに思いを馳せましたが、この考え方も一種の宗教のようなもので、他の人には押し付けられないのがモドカシイ。

 

ある人に何かをした(してあげた)。

私が何かをする時(してあげる時)は、その人が別の人に「何かをしてあげる」ということを期待しています。

だけど、これが上手くいかない。

それとなしに話をしても「この私が何で人のために時間使ってそんなことをしなきゃいけないの?」と言われて会話終了。

 

無念。

 

こう考えてみると、何かをする相手を無差別に選ぶのではなく、この考えに共感してくれそうな人に絞った方が良いかもしれない。

自分の宗教を忠実に守れるのかも。

 

 

なんじゃこの話は。

100日目更新と全く関係のない話。

 

ま、こんな感じで残りの265日も毎日更新していこうとっと。

 

(100/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

尊敬します!大学生が「サークル」でむやみにやる気を出すのは凄いと思う。

大学生と話すと

「サークルでやる気のない人をほにゃららすることを頑張って、結果~できました」という話を聞く。

 え。

「何で。サークルごときでほにゃららできるんですか。」 

とても不思議

 

私は大学時代、意味不明な集団から離れて自分に合う人と群れればいいと思って過ごしていたから。

気に入らなければサイナラ。

やる気が無い人もサイナラ。

友人関係もサイナラ、コンチハの繰り返しだった。

 

だからこそ、問題が起きた時も一つの場所に留まって問題を解決しようとすることはとてもスバラシイことだと思う。

 

仕事を始めるまで気付かなったことなのだが、職場にもやる気のない人はいる。

 

「やる気がない」 とは、隙さえあれば仕事をサボる。仕事をサボって人に迷惑をかける。「マジで仕事やりたくないんだけど」とネガティブ発言をして周りの士気を下げる。

金もらってるのに何だこのザマは!

こんな人がいることが不思議でならないのだが、そういうものらしい。

うちの組織では、やる気が無くて周りに迷惑をかけても村八分にされない。

 

職場は簡単に変えられない。

この問題とは向き合うしかない。

どう考えてもメンバーがおかしいと思っても、

このメンバーでやっていくことを考えるしかない。

 

サークルでやる気が無くてほにゃららで、うにゃららだった状況を

おにゃららした話は聞いていて関心する。

ほにゃららな奴らと付き合うことは、職場でも必要になるからだ。

 

学生の時は「サークルなんて頑張ってどうするのよん」と思っていたが、

決まったメンバーで物事を成し遂げる時には大切なことなんだ。

 

 

(99/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

マニュアル人間じゃだめなんだ(実感)、同僚の優しさに全米号泣。

きょうのテーマは、あるプロジェクトを通して感じた2つのこと

・マニュアル人間じゃだめなんだ

・同僚の優しさに涙

 

 

昨年末、比較的多くの人が関わる仕事のプロマネを任されていた。

通常業務とは異なり、年に1回の業務だったためマニュアルに忠実にミスなく仕事を進めた。プロジェクトメンバーの皆が先輩だったので、マネージャーという立場での振る舞いを難しく感じることもあったが、なんとか先輩の気をそらして問題なく業務終了。

 

へ~、一安心~。

普段とは毛並みの異なる大切な仕事だったので、ホッとした。

 

新年度に入って、どんんどん新規のプロジェクトが立ち上がっていく。

昨年度と同じようなプロジェクトや初めて担当するプロジェクト、どういう風に進めるか改善点は無いかと頭に余裕を持たせながら、今後の作戦を練っている時だった。

 

先輩その1「最近、省エネだね~。ところで、昨年のプロジェクトの~どこに保存してる?」

 

は?何ですかそれ。

美味しいものですか?

頭が真っ白になってマニュアルを見返すと、書かれていない。

なんじゃそれええええ!!!

前任者の異動、マニュアルの不備が重なり、作業がごっそり抜けていのだった。

最終納期まで余裕があるのが不幸中の幸いだが、ショックだった。

年度末の面談で「いつもミスもないし、よく仕事しているよね。色んな意見言うしね。」と褒められたばかりだったから。

 

全て雪のせいだ!!!と言わんばかりに全責任をマニュアルになすりつける。

先輩その1「全然悪くないから気にするなよ」って。

 

だけど、気になる。

実は私、ずっと気になってた。

「何で~しないんだろう」って。作業しながら実はめちゃくちゃ気になっていた。

普段の自分であれば、プロマネや周りの人に疑問を呈していたに違いない。

「~ってやらなくて良いんですか?だって、・・・ですよね?」

 

今回は「上手くやらなきゃ」という変な焦りもあったのだと思う。

ずーーーーっと、「何で~やらないんだろう。」と思いながらも

・~ってマニュアルに書いてないし。

・この規模でプロマネやらされるの初めてだし。マニュアルに忠実に取り組もう。

と頭をグルグル。

 

今思えばこれがいけなかった。

 

ハインリッヒの法則が頭をよぎる。

ハインリッヒの法則(ハインリッヒのほうそく、Heinrich's law)は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。

引用元:ハインリッヒの法則 - Wikipedia

 

今回の「ミス」をハインリッヒの法則の「労働災害」に置き換えてみたい。

単なる「マニュアルの不備」として片付けるのではなく、その他多数の「異常」が重なって起きたことだと理解した方がこの経験を次の仕事に役立てることができる。

 

この記事を書きながら、今までは業務理解のためだけに読んでいたマニュアルの見方が変わったし、プロマネであれ、フォロワーであれ、立場は選ばずに疑問を共有することの大切さを痛感した。

 

・マニュアルを読む際は、業務全体の把握に努めるだけではなく、「ベターな方法」を考える、「マニュアル対する疑問」を同僚と共有する

・作業中に何らかの異変に気付いたら、その点を同僚と共有する

 

こうして、急遽「昨年度、漏らしてしまった~の作業」を早急に行う必要が出てきた。

しかし私は他のプロジェクトで手が空いてない。

この問題をプロジェクトメンバーに説明。

1人に対して説明していたら、もう1人がチラりとこちらを見る。

「〇●さん、これ一緒にやってもらえます?」とすかさずに誘う。

そうしたら「何か手伝います?」ともう1人加わった。合わせて3名がこの作業の完遂に名乗り出てくれた。

 

全米全私が泣いた。

何て優しいんだ。

立場は違えど皆さん先輩なのに・・・優しすぎる。

嫌な顔せずに自主的に名乗り出てくるし。

暇なのか(おい)

 

(ありがちなまとめ)

結局、仕事ってのは一人ではできないよな。

「これは私の仕事で、あれはあなたの仕事」なんて考え方は、同じプロジェクトを行う上でありえない。

どうしてもプロジェクトが重なった時は、プロジェクトメンバーではない人にも平気でお願いして自分の仕事をしてもらう機会が増えた。

手が空く機会が少ないが、逆の立場になった時は喜んでお手伝いしたい。

 

全身筋肉痛で、眠くて眠くて仕方ない日だったけど、

良い日だったわ~。

 

(98/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

ケバブが憧れの食べ物ではなくなる瞬間

誰もが子供の頃は考えたことがあるだろう「腹いっぱいに~を食べてみたい。」

私は「ケバブ」を腹いっぱいに食べてみたかった。

 

ケバブ」を初めて知ったのは、中学2年生ぐらいの頃。上野のアメ横で初めてケバブ屋さんをみた。今までにないスパイシーな香りに、中東系のお兄さんが「おいぃしぃいケバブだよーーー!」と大声で客寄せをしていた。ドキドキしながら近づき、初めての味にかぶりつく。ジューシーなお肉に辛いソース、こんなに美味しい食べ物がこの世にあったのかと驚いた。

帰宅してからもあの美味しさを思い出しながら、また度食べられる日は来るのだろうか?と思っていた。家の近くにはケバブ屋さんが無かったこととハンバーガーの様に手軽に食べられるにも関わらず、600円もするケバブは中学生の私には、憧れの食べ物となった。

 

高校生の頃は、一時期「移動式のケバブ屋」が近所に来るようになった。帰宅時にケバブ屋さんを発見するとお小遣いから奮発して購入する。たまーにくるケバブ屋のトラックを見つけた日は、すごくラッキーな気持ちになった。しかし、数カ月も経たないうちにケバブ屋さんは来なくなってしまった。警察に注意でもされたのだろうかと心配になる。

 

大学生になると、大学やバイト先の近くにあった色んな食べ物に手を出した。ベトナム料理、タイ料理、インド料理、等々。色んな国の食べ物を食べても依然、ケバブが私にとって特別な食べ物であることは違いなかった。大学4年生の時、近所にケバブ屋さんができた時は飛び上がるくらい嬉しかった。アルバイトをしていても大学生の時はいつもお金が無かったので、ご褒美としてケバブを食べる。一つ購入する度にポイントカードにスタンプが溜まっていく。10ポイントが溜まると無料でケバブ1つと交換。1年のうちに2回無料ケバブをゲットした。

 

 

そうしているうちに社会人になった。ある日、普段は歩かない道でケバブ屋さんを見つけた。とても美味しそうだった。近所のケバブ屋さんとの味比べをしたい、と思ったのと同時に「今はお腹が空いていない。食べようと思えばいつでも食べられるからいいや」と思っている自分に驚いた。学生の頃は、「お金が無いから」という理由でケバブを我慢したが、今となっては「お金はあるのに」ケバブを食べなかった。

 

中学生の頃の自分は「毎日ケバブを食べたい」というくらいケバブを欲しがっていた。しかし、今となっては「毎日ケバブを食べることのできる条件」が揃っていても実行しない。

腹いっぱい食べると自分にとってのケバブの価値が下がることを恐れている。

「特別」を失わないために、自分の中での「希少性」を維持するために流通量を調整しているようだ。

 

無限に食べれる時点で、「憧れ」では無くなってしまう。 

 

人が一生のうちに食べることのできる憧れの数は、決まっているのかもしれない。

 

(97/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

胡散臭い。ソフトバンクユーザー「SUPER FRIDAY」でサーティワンアイスを無料でいただき!

2016年10月からスタートしたソフトバンクの「SUPER FRIDAY」ですが、半年以上たった本日、初めて体験しました。

 

4月は、サーティワンアイスのシングルコーンが無料。

25歳以下なら、ダブルコーンにできるらしい。

 

「無料で〇●プレゼント」が胡散臭く、クーポンが届いてもずっと無視していた。

「無料だから」と普段行かない店に行って、列を並んで「食べたいわけでもないもの」を貰うのも気にくわなかった。

特に3月の「ファミチキ」は好きではなかったので、貰って嬉しいものでもなかったし。

 

今月はアイスだったので、遂にもらってみることに。

 

SNSソフトバンクから届いたメッセージのURLを押すと、特設ページが開く。

お店の人に言われた通りに操作→クーポン表示→アイスゲット!

 

本当にもらっていいの?というほどあっさり貰うことができた。

 

この金はソフトバンクが払ってるの?

それともプロモーション費用として、サーティワン側が負担してるの?

ソフトバンクが通常価格よりも安くサーティワンにお金払ってるのかな?

 

何はともあれ、

あれだけスーパーフライデーを否定していた自分がバカだったと思うようになった。

好きなものが貰える月は、貰っておくべきだな。

列も長かったが、友達と一緒に並んだので時間も短く感じたし。

 

何事もやってみる。

これ大切。

 

(95/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中

【日記】御礼のメール、飲み会で唯一ちゃんとできること。

飲み会スキルが最低だ。

飲み会の度に気の使えない自分に課題を感じてもどかしくなる。

ああ…

またグラスが空くのに気付かなかった。

取り分けもぎこちない。

そう反省しながらトボトボと帰っている。

 

別に強要されているわけでも、怒られるわけでもないが、

上司によってはキビキビした動きを好む人もいる。

 

しかし、私が飲み会の席で気を使えるようになりたい理由は、

上司にそういった役割を期待されているからではない。

 

でも「気を使える人は魅力的だ」と思った。

  

相手の動きを読んで、相手が望む前に提案する。

女子力がどーたらこーたらとかどうでもいい。

ただただ、一緒にいる人に気を使える人になりたい。

それもぎこちなくではなく、自然に。

 

そんな私でも唯一できることは、御礼のメールを超爆速で送ることだ。

社内の人であれば、帰りの電車で御礼のメールを送る。

社外の人であれば、遅すぎるメールは引かれるので朝一に送れる様に

帰りの電車でメールを作成しておく。

 

こんなこと気にする必要なんか無い、と思う自分がいる一方で

やはり社会で「大切」と言われていることには、最もらしい理由がある。

理由が無かったとしても私の上司の世代はそれを

「意味あるもの」として受け止め、実行してきた世代だ。

口では「そんなこと気にするな」と言っていても

自分たちがやってきたことを当たり前にやる者に

親近感のようなものを感じてくれるのでは無いか。

 

【プレ達その2】『ザ・プレゼンテーション』を読み始めた。『音楽と情熱』を視聴

 手短に、プレゼン準備の近況について書く。

 

過去の記事で、「4月末のプレゼン成功させるどー」と宣言し、

そもそも「良いプレゼンって何よー?」 と自分なりに適当に考えていたことをアウトプトとして約3週間が経過してしまった。

 

これまで超特急で関わっていたプロジェクトが終了したので、

いや、Netflixの中毒になっていただけだろう 

 ようやくプレゼンに本腰を入れる気になった(キリッ)

 

「教科書」は必須だと思って読み始めたのが、『ザ・プレゼンテーション』 

ザ・プレゼンテーション

ザ・プレゼンテーション

 

作者のナンシーさんは以下の通り、数々のプレゼンを手掛けているので、読むのに値すると思っている(上から目線)

 

フェイスブックマイクロソフトゼネラル・エレクトリック、グーグル、アル・ゴア氏、ツイッター、TED、アドビ、シスコ、HP、ノキア……。日本でも知らぬ人はいないほどの名前ばかりだが、実はここに挙げた企業・人物には、プレゼンテーション制作の手ほどきをある人物に依頼しているという共通点がある。
その人物こそがナンシー・デュアルテ氏。シリコンバレーを拠点にプレゼンデザインの分野で20年以上にわたって第一線に立ちつづけ、まさに世界的オピニオンリーダーたちを陰から支えてきた立役者だ。 

引用元:フェイスブック、グーグル、アル・ゴア氏……世界のオピニオンリーダーを陰で支える「プレゼンの達人」の仕事術 

 

一昨日から就寝前の1時間、1章ずつ読み進めており、今日は第3章を読み終えた。

言いたいことは何となく分かるような気もするが、ブログにまとめようと思ったら、何も浮かんでこなかった。まだまだ理解には時間がかかるようだ。

 

第2章の最後に「良いプレゼン」の例として載っていたTED TALKを視聴。


基本的なプレゼンテーションのフォームを紹介するだけではなく、

フォームに沿った見本動画を見れるので「理論」に「実践」が伴っていて理解が捗った。

 

本番が近づいているが、本の少しでも良いので

この本から得たアイディアを自分のプレゼンにも反映させたいという思いが強まった。

 

(93/365)←365日連続ブログ更新の記録更新中