嵐ちゃんが学校で上手くいっていないことは分かった。
公立の中学校の腐れ具合を知っている私も嵐ちゃんに同情するようになっていました。
クラスメイトだったら、学校で話を聞いてあげられたかもしれない。
いや、やっぱり嵐の話ばかりだと嫌になって距離とってたかも。
嵐ちゃんが延々と続けるニノの話に耳を傾けていました。
ニノ話を聞きながら、たまに気になることを質問します。
将来について尋ねる
嵐ちゃん、中学校卒業してから高校行くの?
大人になったらやりたいことってある?
「高校は行くと思う。親が行けって言うから。とりあえず嵐が見れればなんでもいい」
高校卒業したら、仕事するの?
「仕事は分からない。嵐が見れれば何でもいい」
嵐を見るためってお金かかるよね?生活するためには仕事する必要あるよ?
「・・・」
宿題は絶対にやらない
嵐ちゃんはやろうと思えばできる子でした。
説明すると理解する。
理解した問題を解いてもらうと、正解できる。
「すごいじゃん!できるじゃん!」そう言っても嵐ちゃんにとってはどうでもいい様です。関心を示しません。
過去記事で書いたように、先ずは「自信をつけてもらおう」と地味に戦いますが上手くいきませんでした。
自分の成功事例を嵐ちゃんに押し付けるのは良くないことだと言い聞かせ、 「とにかく話を聞いて嵐ちゃんを知る、時々勉強を教える」というペースを守っていました。
相変わらず、宿題は全くやってくれませんでした。
英語に至っては「答えをうつして良いよ。それだけでも意味があるからね」と言ってもうつしません。
一日一問解けば終わるような量でもやってくれません。
嵐ちゃんを苦痛に感じる
そうして指導を始めて数か月が経ちました。季節も冬が終わり、春を迎えようとしていました。
嵐ちゃん、中3になる。
私は留学前の準備やゼミが忙しくなった時期でした。
嵐ちゃんの家までは、往復2時間くらいかけていたので、家庭教師の時間は授業を含めて、トータルで4時間。
「点数アップ」の結果が出ないこと、自分が忙しくなってきたことが重なって「4時間3000円でニノの話を聞くこと」が苦痛になってきました。
嵐ちゃんが求めていたのは「家庭教師」では無かった気がします。
「勉強なんてどうでもいいし、自分の将来なんて全く想像できない」のは、中学生なら当たりですが、嵐ちゃんのようなタイプは珍しいと感じました。
クソ中学時代の同級生、普段はクソで「マジ面倒」とか言いながらも頑張る時は頑張れる。デキることを喜び、何かに没頭することを楽しむクソどもでした。
嵐ちゃんが唯一モチベーションを持って行動するのは「嵐」が話題の時だけ。
かといって、「嵐」をニンジンとしてぶら下げても勉強をするわけではありません。
「嵐に近づくためにテレビ局に就職するんだ!そのためには難関大学に入るぞ~」と大学受験の勉強を猛烈に頑張っていた、高校時代の同級生だった「嵐ファン」とも異なります。
ニノ以外要らない
嵐ちゃんのことを知りたいと思って色々質問しても、結局出てくるのは「ニノの話」。彼女が考えていることを知りたいと思って話を聞いて、数か月が経っても結局何も分からない。
唯一分かるのは、嵐ちゃんが考えていることは「ニノ」。
嵐ちゃんが幸せになれるのも「ニノ」。
「ニノ」の話を出来れば幸せで、他のことなんてどうでもいい。
こうしているうちに、「嵐」と「ニノ」が大嫌いになりました。
嵐とニノのせいで、嵐ちゃんが自分の人生を考えられなくなっていると感じたからです。
「ニノの話はどうでもいいからお前自身のことを考えろよ」面と向かっては言えませんでした。
ニノに没頭する嵐ちゃんは、現実逃避をしているようでした。新興宗教的な。嵐とニノしか考えられない。大げさな表現かもしれませんが、私にとって嵐ちゃんは「魂の抜けた何か」にしか見えなくなってきました。
週に1回の家庭教師に求められていることは「成績アップ」であって「人生に関するお説教」でもありません。
大学生だった私が「人様の人生」に「こうあるべきだ」なんて言える立場にもありません。
あれ、家庭教師のバイトってもっと簡単なものだと思ってたよ。
勉強教えて、宿題出して、成績上がって、生徒と親と「イェ~~~イ」ってできるのかと思ってた。
調子に乗っていたのかもしれない。
自分を見つめ直すようになっていきました。
嵐ちゃんが勉強に向かう唯一の手段は「テレビ番組のドッキリでニノに嵐ちゃんに会ってもらうこと」ぐらいなのではないか。
そう思って企画がないか検索しましたが、無かった!
(今の自分だったらテレビ局に問い合わせのメールか電話ぐらいしていただろうに・・・行動不足でしたね)
家庭教師をやめる
プライベートが忙しくなってきたという理由もありますが、何よりも嵐ちゃんにこれ以上関わると「自分」を保つのが難しいと感じたことにあります。
週に一回のこのバイトが嫌で嫌で仕方なくなっていました。
友達に嵐ちゃんのことについて話すと「めちゃくちゃラッキーじゃん。おしゃべりでお金もらえるんでしょ?」なんて言われたのですが、自分の4時間を3000円で売ってニノの話を聞くくらいなら、他の勉強できない子を伸ばした方が面白いと思ってしまいました。
こうして、自分勝手な都合で嵐ちゃんの家庭教師をやめました。
勉強の教え方が悪かったのか、嵐ちゃんに自分の将来について考えて欲しいと思ったことが悪かったのか、何が何でも「点数を上げなきゃ」と思っていたのが悪かったのかもしれません。
嵐ちゃんのお母さんとも何度も話しをしていましたが「私もこの子が分からない」という会話で終了。
何よりも嵐ちゃんから「家庭教師の私」を必要とされなかったことが辛かったのかもしれません。
自分で家庭教師をやめときながら、
たまに気になります。
嵐ちゃん、元気かなと。
高校はとっくに卒業している頃です。
働いているのかな、大学に進学しているのかな。
今でも嵐が好きなのかな。
嵐のコンサートは行けたのかな。
そして、今でも分からない。
一体どうすればよかったのだろうか。
(終)
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